8年越しに帰ってきた娘。両親の素直な気持ちと穏やかな表情

東日本大震災津波に巻き込まれて行方不明になった大久保真希さん。


8年かかった今年、やっとご両親の元に帰ってきました。姿を変えて…。


きっと、娘の声を聞いて娘のあの時の姿のまま帰ってきてほしかったはず。


しかし津波に巻き込まれて発見されたのは宮城県山元町沿岸。発見時にはすでに亡くなっていました。


大規模な災害が引き起こした東日本大震災。人命救助にももちろん時間はかかってしまいました。多くの人が命を落としてしまいました。


それでもどんな形でもいいから帰ってきて欲しい…願いは変わりますが、家族とはきっとこのような気持ちを抱くはずです。


その願いが叶った大久保真希さんのご両親。とても穏やかな表情で喜びの声を口にしました。

 

娘を持つ親として悔しさはあるものの、心にスッのささるものがありました。


東日本大震災の被害を受け、8年越しに娘と再会


大久保真希さんは、当時職場で勤務していました。大きな津波に巻き込まれて、東日本大震災の行方不明者の一人となりました。


大久保真希さんだけでなく、勤務地の常磐山元自動車学校のアルバイト従業員は、他にも多くの行方不明者を出すことになりました。


このような状況から大久保真希さんのご両親、そして教習生25人の遺族は、迅速な避難を怠ったとして損害賠償を求めて提訴。


現在は和解が成立し、跡地には慰霊碑が建てられています。


ご両親の気持ちとしてお金ではないんですよね。娘を返して欲しいんですよね。娘さえ帰ってきてくれたら、もう何もいらない…きっとどうしようもない気持ちをずっと抱えていたはずです。


行方不明者の数は、どんどん増えていきました。


人命救助活動も思うように進みません。


ライフラインの復旧にも時間はかかり、家を失い避難所生活をしていた人も、当たり前の生活とは程遠い生活を送っていました。


それでも多くの人は家族が今どこにいるのか?見つからない家族や親戚、友人の無事を祈りながら不安な毎日を過ごしていました。


その一人が大久保真希さんのご両親。


なんとしてもまだ未来のある娘の無事を祈っていましたが、大久保真希さん発見のニュースは入りません。


きっと、ご両親も娘の無事…はどこか諦めていたと思います。ただ帰ってきて欲しい。家に帰ってきて安心させてあげたい…こんな気持ちをこの8年間毎日思っていたでしょう。


そんなご両親の最後の願いが叶ったのは、今年の8月。遺骨を発見した時にはDNA鑑定をしないと身元を特定することができない状態でした。


大久保真希さん発見時の状況


発見場所は山元町沿岸。


状況は下あごの骨と歯の一部が刺し網に入っていたようです。


歯型のDNA鑑定の結果、大久保真希さんと特定され、8年越しにやっと娘との再会を果たすことができました。


県警亘理署は10月24日に大久保真希さんの遺骨をご両親に引き渡しました。

 

大久保真希さんのご両親の表情と言葉が胸にささる

 

骨箱を受け取ることができた、父三夫さん(66)、そして母恵子さんの表情はとても穏やかな表情をしていました。


まるで目の前に娘がいるかのような表情です。とても不思議ですが、8年どこにいるのか分からなかった娘はどんなに姿を変えても娘なんですよね。


父三夫さんは「生身の娘が帰ってきたようにうれしい」と口にしていましたし、母恵子さんは「こんなに軽くなってしまったけど、やっと帰ってきてくれてうれしい」と涙を流していました。


お二人の表情と言葉を聞くと、生きていて欲しかっただろうなという気持ちと、本当に娘を愛しているんだなという気持ち。

 

そしてこんなご両親のもとに帰ってこれてやっと安らかに休めるねと感じました。


また、まだ見つかっていない遺族の方にも「どうか諦めないでほしいと声を掛けたい」と話していました。